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石井 貴子選手

2017年06月16日

104期の石井貴子選手(東京)は、同じく104期の石井寛子選手の妹であり、姉妹で活躍しています。大きな怪我を乗り越えて、 好調が続く現在の様子をお聞きしました。

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赤見:経験選手を目指したきっかけは、どんなことだったんですか?

石井:きっかけは姉(石井寛子選手)に誘われてですね。姉はもともと自転車競技をしていたんですけど、わたしは中学高校で陸上とソフトテニスをしていて、大学と社会人の時は特に運動はしていなかったんです。それで、大学卒業後にアパレル業界で販売の仕事をしていました。本当は洋服のお店に行きたくて就活していたんですけど、希望の会社に受からなくて、靴下とか下着とかパジャマとかを販売しているお店に就職しました。

赤見:そこから競輪選手というのは、かなり大きな決断ですね。

石井:ちょうど仕事で悩んでいる時で、辞めようかなって思っていたんです。次に何をしようかなって考えている時に、寛子が競輪学校受けるからって言うので、じゃあ一緒にっていう感じでした。

赤見:自転車には興味があったんですか?

石井:全然なかったです(笑)。寛子ががんばっているなっていうくらいで。ただ、なんか楽しそうな感じはしましたね。もともと運動は好きだったので、そういう職業に就けるというのはいいなと。

赤見:競輪学校を受けるまでの過程というのは?

石井:寛子の師匠が朝倉佳弘さんと決まっていたので、わたしもお願いしまーすみたいな、ちょっと軽いノリで(笑)。1日2時間くらいで、競輪学校に受かるためだけの練習をしました。最初は自転車に乗るのは怖かったですけど、だんだん楽しくなりましたね。

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赤見:お姉さんと同期というのも珍しいですけれども、競輪学校の一年間はいかがでしたか?

石井:もう、2度と行きたくないです(苦笑)。就職して一度社会に出ていたせいか、学校の厳しさは問題なかったんですけど、 膝を壊してしまったことがあって、そこから練習したいのにできないっていうジレンマで精神的にキツかったですね。それに、休んでいるとまたそれはそれで、何で休んでいるの?っていう目が気になって。

赤見:競輪学校の中では、みなさん追い込まれていますもんね。

石井:そうなんですよ。あそこは特殊な世界ですよね。精神的に苦しい時期もありましたけど、寛子といると安心しました。同期でもライバルという感じではなく、2人で支え合ってという感じです。

赤見:2013年、松戸でのデビューは覚えていますか?

石井:めっちゃ緊張しました(笑)。前検日から吐きそうで、本当に大変でしたね。わたし、緊張しいなんですよ。せっかくお客さんの前で走ったのに、周りからの声援も聞こえないくらいガチガチでした。

赤見:でも、2日目に初勝利でしたよね?

石井:本当にたまたまなんですよ。ただ、デビュー開催で勝てて良かったです。その時は選手になってよかったなと実感しましたね。

赤見:初優勝はどうでしたか?

石井:この勝利は格別でした!逃げて1着になることができたので、それがまた嬉しかったです。展開もあったけど、逃げ切りを目指していたので、自力で優勝できて嬉しかったです。

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赤見:順調な選手生活を送っていましたが、2015年に高知で落車して膝に大きなケガを負ったそうですね。

石井:そうなんですよ。結局、4か月くらい歩くことすらできなかったんです。右膝だったんですけど、落ちた時に膝だけでブレーキ掛けてて、一点集中みたいな。他は無傷だった分、膝に穴が開いてて、白いのが見えてました(苦笑)。

赤見:えーっ!それは...相当痛そうです。

石井:最初の1か月は高知で入院して、同期の山原さくらちゃんがいろいろ面倒みてくれたんです。山原さんのお父さんもお母さんも面倒をみてくれて、そこでは楽しくやっていたんですよ。その後、地元の埼玉に転院したんですけど、時間が経てば治るかなと軽く思っていたのになかなか治らなくて。結局、手術とかしないといけないということになりました。それで、手術してリハビリをしたんですけど、それでもあんまり治りがよくなくて、その時期はすごく悩みました。リハビリはものすごく痛いし、精神的にも肉体的にも辛かったです。

赤見:辞めたいとは思わなかったですか?

石井:復帰はしようと思っていたので、辞めるという選択はなかったです。埼玉の病院にいる時は実家も近いので親もよく来てくれて、すごく心配しているんだなっていうのは感じていましたし、ずっと迷惑を掛けているなと思ってはいたんですけど、とにかく落ち込んでました。

赤見:その時間は長く感じますよね。

石井:そうですね。長かったです。いつ治るっていうのが見えなくて、とにかくずっと膝が曲がらなかったんですよ。まず、まず曲げるところから始めて、リハビリしてもらうんですけどめちゃくちゃ痛くて。

赤見:どう乗り越えたんですか?

石井:やっぱり家族に支えてもらいました。両親と、寛子と。 家族でよくご飯に行ったりしましたし、近くで励ましてくれたことが支えになりましたね。

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赤見:復帰は2016年2月でした。

石井:久しぶりのレースでしたし、デビュー戦みたいな感じでわくわくドキドキしました。また選手として戻ることができて、感慨深かったです。

赤見:現在の調子はいかがですか?

石井:復帰してちょっと良かったんですけど、また落車したりしていたんですよ。それでまた調子を落とした時があって、結果も悪かったんですけど。そこからいつの間にか体の調子が良くなったのか、今すごく調子が上がってます。いつの間にか決勝とかに乗れるようになってて、偶然かなって思ってたらずっと乗ってて。あれ?みたいな感じです(笑)。何かを変えた?ってよく聞かれるんですけど、特にないんです。日々の練習や体のケアを重ねたことが、結果につながるようになったのかもしれません。怪我した時や、なかなか成績が出せなかった時は辛かったですけど、今は自転車に乗るのがすごく楽しいです。

赤見:大きな怪我をして、恐怖心はないですか?

石井:復帰したては人の横が怖すぎて、どいたり引いたりしていたんですけど、少しずつ怖さが薄れて来たので、それもいい方に出ているのではないかと思います。

赤見:では、今後の目標を教えてください。

石井:目標は、いっぱい練習してコレクションとかに乗れる選手になることです!

赤見:お姉さんとも戦う世界ですが、どんな存在ですか?

石井:寛子とはしょっちゅう一緒にご飯に行ったり、練習も地元にいる時は一緒居するので仲はいいですね。ライバルっていうより、一緒にがんばっているという感じです。すごくいい刺激を受けていますね。

赤見:では最後に、オッズパーク会員の皆さんにメッセージをお願いします。

石井:いつも応援していただき、ありがとうございます。これからもっと車券に貢献できるように、1着取って顔を覚えてもらえるようにがんばります!

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※インタビュー / 赤見千尋
※写真提供:公益財団法人 JKA

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