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オートレース選手インタビュー
父の背中を追って。苦労を乗り越え、ものにした整備力。|桝崎 陽介選手
2019年8月23日

飯塚所属の28期。父親は『桝崎 正』元選手。整備の虫と言われ厳しい事でも有名。そんな父の背中を追いかけてオートレーサーへ。しかし、養成所から同期に遅れを取り、デビュー後もなかなか芽は出ずオートレースの世界の厳しさ痛感。そして、2世選手としての苦労も経験。それでも諦めず仕事に向き合い今ではS級レーサーに定着。

オートレーサーになるまでの経緯とデビューしてからこれまでのこと、そして、今後の目標などお聞きしてきました。さらに、桝崎正さんとの現在の関係も聞く事ができました。

インタビュー / AKI

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AKI:父親である桝崎正さんのレースはよく観に行かれてたんですか?

親父のレースは大きな大会の時に観に行ったことはあるけど、5回くらいかな?昔は周りの目も厳しかったし、現地に観に行く事は少なかったね。子供の頃に外食した時も「あれ、桝崎やないか?」と言われる事もあって。気づかれたら「おい、出るぞ。」と親父に言われてすぐに出ていました。「えー。パフェがまだきてないのに!」と当時は思ってましたね(笑)

AKI:幼少時代から選手を目指していたんですか?

小さい時からオートレーサーになりたかったですね。親父を見ていたらやっぱりカッコ良いし。けど、親父は試験の話すらしてくれなかった。高校生の時に選手になることを考えて内緒で就職クラスを希望したんです。しかし、当時テニスをやっていたんですが、有難い事に色々な大学からオファーが来ていて。高校の先生から「就職クラス希望というのはどういうことですか?」と言われ、そこで親にもバレました(笑)大学に行け!とめちゃくちゃ怒られました。親も高校の先生も大学に行って欲しかったんでしょうね。なので、試験を受けさせてもらえず大学に進学しました。

AKI:どのタイミングで試験を受けさせてもらえたんですか?

大学の遠征で関東に行ったんですが、高校時代の親友が埼玉にいて会いに行ったんです。その時に親友の先輩がいて、オートレースファンで親父のことも知っていて。その人から、「もう年齢的に試験を受けれるのは最後じゃない?応募した?選手にならないの?」と言われた。「え!?そうなんですか!?何歳までなんですかね!?」と聞きました。その頃は試験を受けるのにも年齢制限があって。当時自分は大学三年生で、チャンスとしては最後だった。なので、家に帰ってすぐに親父に「試験受けたいんやけど。」と言ったんです。最初は相手にされなかったんですけどね。けど、最後はスーツを着て「オートレースの試験を受けさせてもらえないだろうか。」とお願いをしました。親父も最後には「勝手にせえ。」と言ってくれました。チャンスがあればとはずっと思っていたけど最後の最後に受けることを許してくれたんです。

ただ、親父には「オートの世界はもちろんきびしいけど、俺の後に入ってくるのは厳しいぞ。」と言われていた。小さい頃からずっと可愛がってもらっていた元選手の竹村さんにも「お前なんできたんか。ものすごく厳しいぞ。」と言われた。実際に入ってしまったら色んなことがありましたね。まぁ、それも覚悟して入ってきたけど。それがあったから今があるって思います。

AKI:養成所時代は「桝崎選手の息子」ということで注目はされたりはしていたんですか?

周りは聞かない様にはしてたけど「桝崎の息子」として多少なりとも気になるところはあったと思います。自分の中でもあったし。ただ、養成所から出てきた「桝崎の息子」は凄い乗り方で下手くそ。めちゃくちゃ遅いし、周りには「は?」って思われてバカにされていた。色んなことも言われた。なので、とりあえずがむしゃらに頑張ってきたね。

AKI:桝崎選手が養成所に入ってる間に父の正さんは引退されたんですよね?

デビューする前に親父が引退したのは自分が原因でもあると思うんです。当時は基本的に血縁が同じ所属になる事はなかったので、親父が現役のままだと自分は必然的に山陽に行くことになる。それよりも、自分の地元、浦田さんや茂さん(田中茂選手)がいる環境でやった方が一番なんじゃないか、と親父は引退することを考えたんだと思う。親父自身は「目も見えにくくなっているし、事故の後遺症もある、やりきった。」と言っていて、もちろんそれも嘘じゃないと思うけど自分も理由の一つだと思う。

親父のことは好きだったし、選手でいて欲しかったね。もちろん一緒に走りたい気持ちもあったし。だけど、親父の選択で今の整備グループに入れたし今の自分がいると思います。

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AKI:デビューしてからの環境は?

親父と同じ整備グループの金岡さんが弟子を取る年だったんですが、弟子を取る選手の間で話し合いが行われて、自分は親父がいた整備グループに入ることになりました。師匠は自由奔放な人で一言で言ったら無茶苦茶。面白い人でした(笑)身の回りに関してはすごく厳しく、少しでも散らかってると「片付けんか!」と怒られていた。さっきも話した通り自分は出来が悪く、養成所から出てきた時も下から数えて1、2番の選手。周りの飯塚同期のハンデが下がる中、自分だけずっと0ハンとか。当時は結構辛かったね。あまりにも出来が悪過ぎて師匠には1日何回も怒られてました。それがあったから「この野郎」とか「悔しい」とか思えてるかな。

AKI:デビューして今年で16年目ですが。

なんかまだ若手の気持ちなんやけどね(笑)自分がいる整備グループは自分の下が優輝(33期 木山優輝選手)だけだし。鮮太(29期 岩科鮮太選手)が浦田さんの弟子として自分の1つ下の期として入ってきたけど浜松に移籍になったし。その辺りを考えると気持ちはまだまだ若手。若い気持ちがないとレースも良くないだろうしね。勝ちたいしね、これからも。

AKI:父親の正さんにはオートレースの事で指導を受けたりするんですか?

デビューしてから親父とオートレースの話はしなかった。整備を周りに手伝ってもらう事もあったけど、基本的に自分の考えでやってきた。だけど、結構参った時期があって。ここ5、6年?いや、もっと前かな。その時に親父に頭を下げたんです。すると親父に「やっときたか」と言われました。親父はセア以外のエンジンも乗ってきてるから経験値がとにかく凄い。昔、こういうエンジンに乗ってきた時にこういう症状があった。こうしたら良くなったというのを教えてもらって。そのアドバイスを元に自分ができる範囲でエンジンを扱ってみたり。その結果、今では大体のことは自分で解決できるようになりました。

AKI:父親の存在はどんなものですか?

先生かな。頭下げた時点で親子じゃなくなったところもある。師弟関係になってから自分も成長できたし、考え方も変わってきた。エンジンに対しての姿勢や練習方法も。親父に育ててもらった感は否めないね。もちろん、浦田さんや茂さんにも見てもらってきたけど、仕事はなるべく自分でこなしてきたと思う。親父に頭を下げてから成長したね。一皮向けて。けど、もう一皮向けないといけないね。思いっきりさを出さないと。

AKI:現在の親子関係は?

今は、親父と冗談言いながら仕事の話もするし、親父の家に遊びにいったり、親父から電話もしてくれる。凄くいい関係ですね。親父は自分のレースを毎回見てくれてるみたいで。その分、恥ずかしい走りは出来ないね。たまに「おい、下手くそ」なんて言われる事もあるけど(笑)意外とお茶目なんですよ!選手を引退したのもあるけどだいぶ丸くなりました。

AKI:正さんは整備の虫と言われてましたが、陽介選手も周りの選手にエンジンの音を聞いて欲しいと、整備の面で頼りにされてますよね!

整備も沢山してきたし、お金もかけてきた。その分、整備力が身についたのかな。後は他の人より少しだけ耳がいいのかも?音的なものか、感覚的なものか、ちょっと説明が難しいんだけど。浦田さんが良い時のエンジンと自分が良い時のエンジンの音は全然違う。それは、茂さんもそう。その人にあった良い時のエンジン音を覚えています。なので、エンジンをかけてみて「良い時の状態よりもこういう状態やないですか?」というのをアドバイスしたりしています。もちろん自分は音を聞くだけで整備はそれぞれ行なっていますよ。

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AKI:整備には人一倍向き合ってる感じがありますね。

整備はやればやるだけ身につくもの。最初は誰だって0からのスタートでそれをやるかやらないか。自分はそう思うんです。なので、どんな簡単な仕事でも自分でやる事が大切。それは先輩だろうと舐めた感じできたら「やりません。」とはっきり言う。

これは、後輩の優輝に対しても一緒です。やってあげたい気持ちもあるけど、そこで自分がやってしまうと優輝のプラスにならない。手を動かすことで覚えていくし出来ないことはない。とにかく自分の手を動かす事が大切。これは親父にも言われてきました。

その努力もあり、今では大きな波もなく一定のところはエンジンを維持できているかな。不具合などはあるけど、大体は対処出来ている。エンジンのことに関しては早めに気づけるかな。良いところで安定させないと勝てないしね。常に最重ハンにはいたいし、その為にも仕事は毎回行ないます。

AKI:自分の中で思う課題はなんですか?

ここぞというチャンスで迷いが出てしまうところ。最近はだいぶ迷わなくはなってきたけど躊躇する感じ。あと一周待とうかな、と思ってしまうところ。チャンスを掴みきれてない。親父にも「お前は優し過ぎる。」と言われるし、これは自分でも良くわかっている。この野郎と思う部分をレースで出せるか出せないか。その辺りが自分の課題ですね。

AKI:今後の目標などありますか?

やっぱりまずはGIを取りたい。常に優勝戦に乗りたいとも思っているけど、優勝しないと記録として残らないから。名前が残るのは優勝した人だけ。数年前の飯塚のGI開設記念で青山周平選手が優勝して自分は2着。GI優勝戦の経験不足の差が出ましたね。レースもだけどぶち走路で走路的にも緊張してしまった。コースを外してから焦ってしまったかな。次こそチャンスがあれば頑張りたい。

AKI:それでは最後に、オッズパークをご覧の皆さんへ。

良い配当出したいです。エンジン的には基本的に良いところで安定しているので、穴党の方は是非買って下さい。そして、信頼できる選手になりたいと思っていますので、応援をよろしくお願いします。

インタビュー / AKI

福岡県宗像市出身のタレント。福岡でテレビ番組やイベントMCなどで活躍中。飯塚オート3代目「勝利の女神」。飯塚オートでは、AKIのAKIらめない予想やバスツアーなどを開催。川口オート、伊勢崎オート、浜松オート、山陽オートでもイベント出演中。

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