選手生活9年目に入った鐘ヶ江将平選手に2019年ここまでを振り返ってもらった。大好きだった父親との別れ。辛い思いを乗り越えて待望のSGファイナルに出場。筑豊の若武者が更なるステージに向かい夢を追い戦い続けます。
インタビュー / 内野久照
内野:今年も残り少なくなってきましたがここまでを振り返って頂きたいです。
鐘ヶ江:はい。色々ありましたがSG優勝戦に乗ったことは一番の収穫でした。
内野:では始めにSG初優出を決めた10月に開催された川口SG全日本選抜を振り返って頂きます。
鐘ヶ江:SG初優出を決めた時は嬉しかったですが意外に落ち着いていました。
8周回の準決勝は雨でしたがスタートでハナを奪って8周回気持ちに余裕を持つ事が出来ました。
『全力で行くとタイヤが持たない。このコーナーではタイヤを使わない様にグリップを操作する』等考えながら走る事が出来ました。
内野:初めての10周戦SGの優勝戦はいかがでしたか?
鐘ヶ江:優勝戦10周戦の試走タイムは3.37秒の7番時計で正味のタイムでした。正直いっぱいいっぱいでした。晴れのエンジンは他メンバーと比較になりませんでした。
凄く長く感じたレースでした。初めての10周回は苦い思い出となりました。
ただ今後のレーサー人生で絶対に役に立つ経験をさせてもらいました。
SGの優勝戦SGの10周戦は特別だと感じました。
内野:11月に行われた地元飯塚のSG日本選手権はどうでしたか?
鐘ヶ江:あの時は地元飯塚の選手権で年末のスーパースタートライアル進出へのチャンスがある開催でした。ポイント(SGポイント5点)を持っていないと経験出来ない事です。『出たいな〜出られたら良いな〜』と思う事が出来る当事者に初めてなれたし、楽しみにしていたシリーズでした。
内野:5日間どんな動きでしたか?
鐘ヶ江:初日は試走3.38秒での惨敗からのスタートでした。悪すぎて少し焦りがありました。
選手権はSG全日本選抜から続いた連続のSG開催でSG初優出を決めた後の開催でしたが、2日目は1回リセットする事を決意しました。SGで優勝戦に出場した事は忘れて一からエンジン調整を始める事にしました。
その2日目は大幅にセッティングを扱って挑みましたがエンジンの限界を感じました。
前回のSG準決勝戦は雨で勝ち上がれただけで晴れの動きはずっと動いていなかったのです。3日目は細かいパーツを交換する流れでしたが年末出場の可能性がまだあったので『よしっ!何かやって行こう』と決意しクランクケースを交換しました。悪ければ原因が分かるし変化が出れば次にどこを扱うか決められると思いました。エンジンは整備の効果もあり多少上向きになりました。
8周戦の準決勝戦は晴れ良走路でした。
晴れで結果が出ていなくて今までが悪すぎる状況だったので急に晴れのコンディションで強豪が揃うSG選手権の準決勝戦では勝つ事は厳しかったです。結果は7着でした。
最終日はトップスタートからレースを作ったけど抜かれて2着になりエンジン的にはもう一つできつかったですね。
結果年末の大舞台には出られない事が確定しましたがそれはそれで新たな目標となり来年はSGのステージで活躍し年末へのポイントを稼ぐ事を決意しました。
内野:2019年前半はいかがでしたか?
鐘ヶ江:今、思えば凄く苦しかった。道中の成績の落ち込み方は酷かったです。
今年はパーツ交換もいつも以上にやりました。でも何も残っていません。やり尽くしました。(笑)半分自暴自棄になり俺なんかと思う事もありました。
ただ過去を振り返る事が自分は大嫌いです。終わった事を振り返っても引きずるだけで意味がない。失敗した事終わった事を教訓にする事だと思いました。
内野:レース以外のお話もお願いします。御出身は?
鐘ヶ江:出身が福岡県直方(のおがた)市です。
内野:野球少年だったと聞きましたが?
鐘ヶ江:小学校3年生から高校生まで野球一筋です。
高校は飯塚の近大付属です。サードで4番でした。福岡県大会まで出場する事が出来ました。高校の監督さんが凄い人で恩師になりますが野球の上達よりも人としての成長を大事にされている人でした。
高校生の頭では理解出来ない事を言っている監督でした。(笑)
今、分からなくても後々分かって行くからという指導方針でした。
当時は何を言っているのか分かりませんでしたが言っている意味が今だからこそ分かる気がします。今思えば凄く監督に感謝しています。
内野:ご自分の性格は?
鐘ヶ江:適当な人間ですがやる時はやります。(笑)
もちろん負けず嫌いです。
デビューしてから何年間はカッとなったりムカついたりする気持ちはしょっちゅうありました。
でもそれはミスに繋がるし無駄な落車が起こります。感情を入れても勝てないです。
誰しもが良い時も悪い時もある。だから悪い時こそ冷静にならないと事故を起こす事、事故をもらう事に繋がると考えています。今冷静になれるのは過去の失敗があるからです。
内野:ルーティンはありますか?
鐘ヶ江:決め事はありません。自分の場合それをしない事、決めない事がルーティンです。決めていてそれで大きな事故が起きてしまうと後悔に繋がる。
『特に何も考えない事』がルーティンですかね(笑)
内野:好きな言葉は?
鐘ヶ江:『楽しんだ者勝ち!』です。
今年亡くなった父の口癖でした。父は『何をするにも楽しんだ者が勝ち。苦しい時や辛い時は誰にでもある。そんな時でも何か一つ楽しい事を見つけて生きて行く奴が強い。』と言っていました。
父は自分よりもすぐ熱くなる人でした。父とはいつも一緒で仲が良かったので亡くなった時はボロボロになるまで号泣しました。死ぬ前まで一切弱音を吐く事がない凄く強い人でした。
その後落ち込んでレースの結果にも出ていました。
『あいつも色々あったので大変だから成績が悪い。』『成績が悪いのは親父のせいだ』と思われたくないので引きずる事は止め切り替えて7連勝する事が出来ました。天国の親父の応援があったからだと思いました。
内野:オートレースとの出会いは?
鐘ヶ江:中学2年生の時初めて飯塚オートでレースを観戦しました。
スピードが凄くて迫力あってカッコよかったです。
いつの時かあれが(オートレース)仕事になったら良いなと思いました。
高校2年生の時に進路指導で『将来はオートレーサー』と書きました。
担任の先生の父親がオートレーサーでした。毎年選手募集が行われていない事は先生が知っていたので『オートレースも進路の一つに入れておきましょう。』と言われた程度で本気にはされなかったです。
高校3年生から実家の近くでアルバイトを始め卒業してからは正社員として雇って頂きました。オートレースの試験があるまで約2年間働きました。働きながら試験を待ちました。
高校3年生の時に72kgあった体重は試験に向けて落としました。−17kgです。
母は反対の様でしたが父は勧めてくれました。
母はストイックに追い込んで痩せて行く自分を見て本気度が伝わり心から協力してくれる様になりました。食事面等でサポートしてくれる様になったのです。選手になりたい自分を応援してくれた一人です。
一度目の試験は30期でした。合否通知がJKAから届いたのですが封筒が薄くペラペラだった。部厚かったら次の案内資料が入っていると思うので落ちた事が解りました。
二度目の試験は31期。封筒が分厚く受かった事を確信しました。
母は泣いて喜びました。自分も夢が叶うという所まで来て凄く嬉しかったです。
内野:養成所はどんな所でしたか?
鐘ヶ江:養成所はきつかったです。悔しい思いも沢山しました。教練は朝早くて冬は寒くて嫌でした。養成所には戻りたくないですね(笑)
内野:デビュー戦はいかがでしたか?
鐘ヶ江:デビュー戦は鮮明に覚えています。
めちゃくちゃに緊張してスタートがものすごく遅かったです。タイミングが0mから0.30だったと思います。スタート後1・2コーナーで並ばれて4周粘りましたが結果6着でした。悔しかったですね。
内野:師匠の越智選手(飯塚25期越智尚寿選手)はどんな方ですか?
鐘ヶ江:厳しいですよ。自分でやって覚えろという考え方の下指導を受けています。
8年経った今でも厳しいです。高校の監督と同じです。
基本ノーアドバイスです。何をやれとかは言いません。
人として間違っていると凄く怒られます。
人として成長させて頂いています。
内野:鐘ヶ江将平の売りは?レースではどこを見たら良いですか?
鐘ヶ江:試走です。試走が出ていないとマシンの状態は良くないです。
今年は悪い時期が長かったので試走が出ない事が多かったですね。
まずは試走を見て下さい。
内野:2019年残り少しです。どう過ごしましょうか?
鐘ヶ江:自分は普段通りいつも通りです。自然体です。本当に変わらないです。
内野:オッズパークを御覧の皆様へメッセージをお願いします。
鐘ヶ江:オートレースをこれからも楽しんで下さい。もっともっとオートレースを宜しく御願いします。
MCうっちぃ!こと内野久照 オートレース歴16年。好きな選手は浦田信輔選手。現在飯塚オートでMC、山陽オートで実況を行っています。年間約180日間選手ロッカーに潜入し取材もこなすMCです。オートレースを盛り上げたくFBでは飯塚オート盛り上げ隊、Twitterではオートレース盛り上げ隊にてロッカーフォトや選手情報配信しております。 最近では場外車券売り場にてオートレースの解説予想を披露し自腹車券勝負に挑んでいます。オートレース大好き九州男児が展開する魂の大胆予想にご期待下さい。