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吉田 勝彦 アナウンサー(兵庫)

2019年12月27日

数々の名実況を生んできた園田・姫路競馬の吉田勝彦アナウンサー。独特の語り口調は "吉田節"と親しまれ、2014年には『レーストラックアナウンサーとしてのキャリアーの長さ世界最長』としてギネス世界記録®にも認定されました。しかし、2020年1月9日をもってレース実況から引退されます。この道64年。「レースを喋るのではなく、語りたい」という吉田アナウンサーの思いとは。

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実況歴64年の吉田アナウンサーですが、キャリアのスタートはどういったきっかけだったのですか?

僕はラジオドラマの声優になりたかったんです。局アナになろうと思ったら大学を出ていなかったらダメ。僕は大学に行っていないし、家が貧乏やったから高校3年間でさえ必死になって親に行かせてもらった。卒業して夜間の放送研究所に行って、当時はまだテレビの時代じゃなかったから、ラジオドラマやったらこんな声やけど役によっては使ってもらえるかもしれへんという気持ちがありました。昼間は空いているから、競馬の実況のアナウンサー募集があったから行きました。最初は長居競馬。園田と姫路があるように、大阪には長居競馬と春木競馬があったの。長居で10カ月いて、僕の喋りを聞いてくれた人が「あの男を兵庫県に呼べ。あの男は兵庫県の人間やから」と指名をしてくれてここへ来ました。

当時は競馬用語の解説書のようなものもなく、毎日早朝から競馬場に行って調教師や騎手の会話から競馬用語を覚えられたと伺いました。そうして厩舎関係者との絆も深めていかれたんですね。田中学騎手は「サンクリントの楠賞兵庫アラブ優駿の実況が一番印象に残っている」とおっしゃっていました。

あのレースの前にね、「学くん、今日は楽勝やなぁ」と言うたんや。そしたら「楽勝とまではいかんけども、勝てるやろうと思う。もし今日このレースで負けたら、それは神様のイタズラですよ」と僕に言うわけ。そのことを、向正面で2番手につけて、そろそろ前の馬を捕まえようかなというような状況の中で言いました。「もしこのレースで負けるようなことがあれば、それは神様のイタズラでしょう。そう言い残してこの馬に騎乗している田中学騎手、3コーナーで先頭に並んでいよいよ」っていう感じの喋りをしたんです。彼自身は何編も(何回も)家で聞き直したと言っていたね。そうやって喜んでくれたら嬉しいよね。

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他にも多くの名実況がありますが、吉田さんご自身で印象に残っているレースはどれですか?

ビクトリートウザイ(※注)という馬がいました。あのビクトリートウザイが7回も重賞レースを勝って、そして最後のレースは64キロを背負って、他の馬たちと8キロ、9キロ差がありました。それまでだいたい3〜4番手くらい、好位につけて差すっていうのがビクトリートウザイの戦法でした。あれを乗っていたのはいま調教師になっている保利良次騎手。64キロを背負った時、思い切った逃げに出たんよ。「ビクトリートウザイ、今日は先行策を」と言うたら、お客さんが「わ〜!」と沸きました。向正面を過ぎて3コーナーに向かうところで後続馬がずーっと寄せてきて、「ビクトリートウザイ、果たしてこのまま押し切ることができるのか」と言うた時に悲鳴が上がったけど、3コーナーのカーブを曲がった所ではまだ余裕十分やったんや。4コーナーのカーブ手前のところで「ビクトリートウザイには十分余裕がありそうです。『来るなら来い!』そんな余裕を持ってビクトリートウザイ、直線に入ってきました」って言いました。そうしたら歓声が「わぁ〜」って上がるんやね。悲鳴を上げさせて、歓声に変えて。その一言ひとことをお客さんは聞いてくれている。自分がレースを喋っていて、お客さんのそういう反応っていうのが大きいわね。

(※注)ビクトリートウザイ
1982年3月14日生まれ 静内産 アングロアラブ
父キタノトウザイ 母トーニチクイン
2〜4歳時、通算24戦17勝(うち重賞7勝)
64キロを背負ったのは86年6月10日、ニュータウン特別(OP、園田1800m)

ファンと吉田さんの掛け合いだったんですね。

観客はその時、だいたい2万人くらい入っていました。今はもうその10分の1くらいになってしまっているから、僕ら実況を喋っていて物足りないです。やっぱりお客さんの歓声とか悲鳴を耳にしながら、目で見ながらやって喋りがいがあるけど、いまお客さんが少ないとカラオケで歌っているみたいな感じがして、なんかこう力が入らないって言うのかなぁ。それも逃げ口上かもしれないけど。

これだけ長い間、ずっと実況を続けてこられた秘訣はなんですか?

競馬のレースの実況というのは、いかに難しいか......難しいからここまで続けられたんやと思うねん、僕はね。「先頭がどれで、2番手どれで...」くらいのことやったら、喋りに心得のある者ならば、三月か半年でできる仕事です。64年間もやってきて「まだやり足りない」という気持ちがあるということは、いかに結論が出せないほど競馬の実況は難しいかということ。同じレースは2つとしてないんやからね。

何年か前に僕と同い年の北島三郎さんと話をした時に「北島さん、レースの実況、本当にもう辞めようと思う」というようなことを言いました。北島さんはそれまではニコニコ笑いながら世間話なんかをいっぱいしていたわけ。けどね、その時だけはクッと睨んで「吉田ちゃん、何言ってるの!俺だって足りねぇんだよ。だから歌ってんだよ」と、足りないっていう言葉を言われたねぇ。ホントにどんな世界であっても、「完璧にできました」という人なんかいないんだということを色んな人の話を聞いて思いましたね。僕らは住む世界が違うし、もちろんレベルも違う。けど、いま辞めるこの段階において、結局なんにもできないまんま終わってしまう無念、こういうのは本当に死にたいような気持ちやね。

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いよいよ1月9日の引退の日が近づいてきました。

「あと何日経ったら、実況はできないんやなぁ」と思うのはやっぱり寂しいなという気持ちもあるけど、もう十分という感じやね。気持ちとしては、語りたいんやね、僕は。喋るんじゃなくて語りたい。子供の頃に親父と芝居を見に行って、親父は大変な吃音やったけど、義理人情を描いた芝居で掛け声をかけるのが上手かった。僕は競馬のレースの実況は芝居でいえば掛け声であったりすると思います。だけど、もうそういうことを言うチャンスもなくなるね。

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※インタビュー・写真 / 大恵陽子

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