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坂口 裕一 騎手(岩手)

2023年05月15日

2003年デビューの坂口裕一騎手は今年が21シーズン目。それが始まってすぐの3月20日に地方競馬通算1000勝を達成した。
実はその前日の3月19日には所属する村上昌幸調教師の地方通算1500勝も自らの手で達成している。この春はリーディング上位に付ける坂口裕一騎手に話を伺った。

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1000勝達成おめでとうございました。

ありがとうございます。

記録まで残り11勝という段階でスタートした今季でしたが、やはりまずはこれが目標、"早く達成してしまおう"というような気持ちだったのでしょうか。

どちらかといえば自分の記録よりは調教師の記録(所属の村上昌幸調教師の地方通算1500勝)を先に決めてしまいたいと思っていたから、自分の記録の早い遅いはそれほどこだわってなかったです。

とはいえ自分の勝ち星の方も非常に順調に増やしていっての1000勝達成でした。この春は調子も良いのでは?

自分自身は変わってないと思うけど、3月の最初の1週間は"ツートップ"がいなかったですからね。その分、自分にとっていい流れでスタートできたんじゃないでしょうか。

"1000勝"という記録の重みのようなもの、どう受け取っていますか?

そうですねえ。自分と同年代の騎手はたいがい通過していますからね。もちろん嬉しいですけれど、20年もやっているし......と思うところもありますね。

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2023年3月20日、地方通算1000勝達成

確かに今でこそ同世代の騎手がたくさん勝っているけど、ちょっと前は1000勝以前に引退する騎手の方が多かったくらい。1000勝できた、20年も続けてこれたのが凄いと思う。さて、そんな20年の騎手生活で"思い出に残る馬""思い出のレース"を挙げていただくとすると。

どれか1頭・ひとつのレースというのは挙がらないかな。自分はこれまで何度か騎手を続けるか迷ったこともあったんですけども、結婚して"自分はこのままでいいのかな?"と思っていた時にナムラタイタンが来て、もうちょっと頑張ろうと思って。で、タイタンがいなくなって気持ち的に穴が空いた感じになっていた時にリュウノシンゲンに出会ったりして。他の馬でも重賞を勝たせてもらっているんですけども、ホントに"これだけ"という馬はなかなか浮かばないんですよ。

坂口騎手にとってナムラタイタンはやっぱり大きな存在だった?

大変でしたけどもね。調教は毎日乗って、レースも乗って。引退した時には"解放された"という気持ちもありました。ですが、いなくなるとやりがいが無くなって......。ああ、もしかするとナムラタイタンの最後のレースが思い出に残るそれだったりするのかもしれませんね。

3連覇した後の4回目、引退レースになった時の赤松杯ね。

あの時は調教から今までと違う感覚がありました。状態が悪かったというのではなくて、レースで最後まで走ってくれるのかな?という、気持ち面というか。レースでもスローペースで逃げたのに最後は無理しないような走りになって3着。"ついに終わりが来たんだな"と思ったのを凄く覚えています。

自分もその時の陣営とか坂口騎手の雰囲気をなんとなく覚えている。

もちろん、転入初戦の赤松杯でぶっちぎって勝ったのも印象に残っています。あの馬に乗って勝ったレースで一番インパクトが強かったですけども、その勝ったレースが4年後に引退レースになったわけですから。

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2014年4月27日、赤松杯。転入初戦のナムラタイタンは持ったままで大差勝ち

そういうのは実際に乗っていた人にしか分からない感覚ですね。それで聞くけども、乗っていて、だんだん力が落ちていくような感触はあった?

能力的に落ちていくというか、年齢を重ねての気持ちだったのかな。本当に満足のいく状態で走れたのは、来た年の最初の3戦くらいでした。その後はこの状態で良くこれだけ走れる......と感じる方が多かったですからね。最後はそうですね、"ついに来た"という気持ちでしたね。

改めて重賞の成績を振り返ると、2010年のひまわり賞をコンゴウプリンセスで勝って初制覇。2011年は空いたけども2012年以降昨年まで、毎年何かの重賞を勝っています。結局坂口騎手は"引き"が良いのではないか?

そうですか?自分では引きが悪いと思っていますけど(笑)。周りの人を"みんな引きが良いなあ"と思いながら見ていますが(笑)

ナムラタイタンもそうだし、リュウノシンゲンでも重賞7つ勝っているし。エンパイアペガサスにも乗って勝っているくらいだから。節目の大きなレースにはいつも顔を出している。

じゃあそうなのかなあ(笑)

もうひとつ。坂口騎手は2003年のデビューで、岩手競馬が一番苦しかった時期に若い頃を過ごしてきた世代になります。今は同世代もみな上の方で活躍しているけども、やっぱり最初の頃は厳しいと感じた?

デビューした頃は騎手の数が多くて厳しくて、存廃問題が起きた頃には人が減ったけど別な部分で厳しくなって。若い頃は何が何だか分からずに過ごしていましたが、今同じ事が起こったら、堪えると思いますね。若いからやってこれたのかな......とか今になって思いますけども。

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2003年4月19日、デビュー戦の際の坂口裕一騎手

20年間の騎手生活を経て、自分が騎手として変わったとか騎手として進歩したとか、そんな手応え、そんな部分はありますか?

どうなんですかねえ......なんだろう。そうですね、調教をした馬にレースで乗れるようになってから何か変わったのかもしれません。若い時ってやっぱり調教は乗るけどもレースでは上の人が......ということが多かったじゃないですか。だから、なんて言ったらいいんだろうなあ......。

"仕事だから片付ける"的な?

そうですね、流れ作業じゃないですけどもなんとなくやってたような。それが厩舎の馬に全部乗せてもらえるようになって、重賞なんかも勝てるようになって。取り組み方が何か変わったというわけではないでしょうけども、自分なりに考えるようになったんだろうと思います。

やっぱり昔とは凄く変わったんじゃないかなあ。昔は、今言っていたような雰囲気もあったけど、今はずいぶん違う。

調教師さんも変わってきたんだと思いますよ。昔は調教もレースも所属優先で、自分がレースに乗らない馬でも自厩舎だから調教していたのが、今は途中でも他の厩舎の馬に乗っていいよ......とかに変わってきているのもあるんじゃないですかね。

そうか。自分も変わってきたし、周りも変わってきたと。

そうですね。だからデビューして最初からたくさん乗れる今の若い子たちはうらやましいですね。

ああ、やっぱりそう思うんだ。

まあうらやましいって言うか、時代が変わった、いい環境になったんだなって。

さて。1000勝を達成しました、ということで、この先の新たな目標として挙がるものはありますか。

やはり、怪我には気をつけたいですね。まあ自分が気をつけていても事故は向こうから来ることもありますから、そういう時はどうしようもないですけども、第一は怪我に気をつけて。あとは......。

坂口騎手は岩手の大きな重賞をだいたい勝っているから、そういう目標が意外に出てこないのかもね。あとはグレードレースくらいだから。

そうなんですってね。グレードは、まあ運もありますし......。うん、そうですね、やっぱり怪我をしない事。

話が戻るけど、やっぱり家族は支えになっている?凄く家族を大事にするよね。

それは支えになっていますね。自分が迷ったり悩んだりしている時に結婚して。良い馬にも出会えたけど、家族ができて騎手を続けようと思えましたから。最近は子供もレースのことが分かるようになってきましたし、励みになるというか、"がんばらなきゃな"という気持ちになります。

坂口騎手にとって"結婚"という事が大きいきっかけになったんだろうね。

自分でもそう思いますね。

では最後に、オッズパークで岩手競馬の馬券を買ってくださっている皆さんへ。

いつも応援していただいてありがとうございます。コロナ禍も収まってきましたし、現地の競馬場にもぜひ来てください。

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坂口裕一騎手といえばナムラタイタンとのコンビが記憶に残っているが、気がつけば同馬の引退からでも6年経った。ナムラタイタンとの足掛け4年は坂口騎手にとっても大きく飛躍した4年だったはずだけに、その最後のレースを「いつか将来、騎手を辞めて何年も経った後でふと思い出すレースが、あの最後の赤松杯なのかもしれませんね」と言うのも、それだけ強く結ばれたコンビだったからゆえなのだろう。

近い世代の騎手が調教師に転身し始める時期にもなってきたが、坂口騎手にはまだまだこれからも大レースを制する騎手として活躍し続けてほしいと思う。

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※インタビュー・写真 / 横川典視

騎手プロフィール

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