阿部 英俊 騎手(岩手)
2024年12月10日
10月21日盛岡競馬第6レースにおいて地方競馬通算2000勝を達成した阿部英俊騎手。1992年のデビューは岩手の現役騎手としては2番目の"古株"であり、また岩手競馬の騎手としては現時点で唯一のGIIウイナー(1999年東京盃をサカモトデュラブで勝利)でもある。そんな阿部英俊騎手のこれまでとこれからをうかがった。
2000勝おめでとうございました。勝った時の気持ちを改めておうかがいすると、どうでしたか?
そうですね、リーチがかかってからがね、良い馬に乗せてもらっていたんですけどもなかなか勝てなかったんで。焦ってたわけじゃないですけど、早く達成したいなっていう気持ちはありました。
そういう所を見ていて思ったんですけども阿部さんくらいのベテランになっても、"あと少し"になるといつもと違う感じになるんですか?
いや、そんなことはないですよ。いつかは勝てるんだろうなとは思っていました。ですがなかなかね、勝つっていう事は難しい事なんだな、と。
そしてしっかり決まってみれば嬉しい勝利ですよね。
そうですね。嬉しいっていうか達成感というか、まず区切りができたかなと。
10月21日盛岡第6レースで地方通算2000勝達成
阿部騎手にとってこの2000勝は、やはり騎手として達成したい目標だったんでしょうか?
気持ちの中にはありましたけどね、こればかりはできるかどうか分からない事なのでね。かなり近くなってきてからは意識もしましたけども、それまではそんなに......でしたね。1000勝した時はまだ2000勝とかの数字は見えてこなくて、1500勝、1700勝、もうちょっとで2000、となってきて、騎手として乗れるんだったら2000勝まで行こうかな、とね。昔の騎手は結構若いうちに引退していたし、開催も少なかったですしね。そんな中でたまたま長くやっていた分乗せてもらえて。それで2000勝まで勝てたかなとは思いますね。
たまたま長く、って言いますけども、阿部騎手は途中で大きな怪我があったじゃないですか(2013年11月30日の水沢1Rで落馬負傷し、2015年3月21日に復帰するまで1年以上を要した)。それでもここまで来たのはやはり凄いと思います。
自分はしょっちゅう怪我をしていたんですけども、あのときの怪我が一番大きくて、これはダメかなと思ったほどでしたね。
その後ちょっとずつ厩舎の仕事に戻ったりして、でも馬に乗ってレースまではしんどいかもな、みたいな話もされていたじゃないですか。
怪我した直後は、意外と大丈夫かなとは思ったんですけどもね。首を痛めたりして、後遺症みたいなのもあったし。今でもあるんですけどね。うん、やっぱりその時はもうダメかな、とね。
阿部騎手はその辺の事は、あまり大げさに言われたくないんでしょうけども、見ている方からすると凄いなとしか思えないです。
そこは前にも話しましたけども(2000勝達成時のコメント)、自分には騎手しか、馬しかなかったんで。できれば馬の世界に戻りたかったし、それに年齢ですよね。その時はもう40歳だったから、そこから違う道に行くのも大変だったと思うし。なんとか治ってくれて良かったです。
ここで言えないような事もたくさんあるんでしょうけども、それぐらい頑張っても騎手に戻りたかった、ということですよね。
そうですね、廃止問題とか色々あって、岩手競馬が危ない時も何回もあって。それでもなんとか岩手競馬もやってこれたんで、俺もなんとかやっていければいいなと思いながらね。これしか道が無いってわけでもないんでしょうけども、せっかく騎手になったんだからやれるところまでやってみようと。でも本当に周りの人に助けられて、苦しい時も本当にいっぱいお世話になって、だからやってこれたようなもので。自分一人だけだったら多分無理だったんじゃないかな。
怪我から復帰してから500勝ほど積み上げての2000勝なわけで、騎手としての腕はまだまだ全然落ちてないんだろうなと思って見ているんですけど。
いや、でもね、もう50も過ぎて体力的にも落ちたましたしね。だから、そろそろかなとは考えてましたけども。ただ、調教師になるのもなかなか大変なんでね。
その体力の話ですけど、年をとるとレースでの感覚が変わってきたりするものなんですか?
うーん、まあでも基本走るのは馬なんでね。自分から言わせると競馬なんか良い馬の獲り合い。良い馬に乗れなければやっぱり勝てないというところもあるし。若い騎手が伸びてきたら乗り数が減る、良い馬が回ってくるチャンスが減る。そういう所も含めてやっぱり年寄りは辞めていくべきだね(笑)。
阿部騎手が若手の頃と、今の若手騎手と、どんなところが変わったり違ったりするところだと思われますか?
今は数を乗れますよね。自分が新人の頃は競馬に乗れない日もありましたからね。今は多少下手でも一生懸命調教して、一生懸命頑張ればレースに乗れる。やっぱり競馬に乗らなければ分からないですからね。いろんな馬に乗って失敗して。そうやっていける人が上に行くと思うんでね。今は騎手が少ないですけども、たくさん乗れるのは気持ちの面でもやる気になるんじゃないかと思うし、若い子たちにとっては今は良い時代なんじゃないですか。
しかし、阿部騎手が調教師になったらそういう若い子たちを使う事になるんですけども、そんな世代の差はどうなるでしょうね。
まあ、まだわからないけども、やっぱり元気のある子に乗ってもらった方が良いですよね。頑張ってるな、っていう子は乗せたい。自分がいろんな面で苦労してきて、悔しい思いもたくさんしてきているんでね。そういう思いはしてもらいたくない。頑張ってる子には、上手い下手関係なく乗せたいなと思っているけども。でも調教師としては経営第一、馬主さん第一だから変わるかもしれないけど(笑)。
なし崩しにそんな話になったんですけども、将来的な目標としては調教師を目指していきたい......ということですね。
ですね。だから、2000というのはいい区切りだったし。年齢的にも、乗ってもあと1年とか2年ぐらいなのかな。
いろいろな話を聞きたいんですけども、この2000勝の間の"思い出のレース"を改めて伺いたいのですが、やはり初勝利でしょうか?。
そうですね。初勝利のレースですね。(1992年)10月のデビューだったんですけども全然乗れなくって勝てなくって。センス無いのかなと思いながら、もうちょっとやってダメだったら騎手を辞めようと本気で思っていたところで勝てた(初勝利は翌93年4月12日)。本当に助けられたし、乗せてもらった調教師さんにも感謝してますし。それがあったから今の2000勝があるんで、無かったら多分騎手を辞めていたんじゃないかなと思いますね。
もうひとつ、うかがいたいのが東京盃です(99年サカモトデュラブで勝利)。
東京盃は、たまたま伊藤和先生に"行くか"って言われて、何も知らないまま"行きます"って言って乗って、たまたまゲート出て、逃げて勝ったっていう(笑)。サカモトデュラブは東京盃にも何回か出ていて成績も悪くなかったですけども、自分は本当に訳も分からないまま。大井も初めてだったし、"ゴールまで長いなあ"とひたすら追っていたらクビ差くらいで勝っていた。本当に全てが上手くいった。自分は勝たせてもらっただけです。
1999年9月23日、東京盃(大井)をサカモトデュラブで逃げ切った
じゃあそういうことにしておきますけども、でもあれは凄い。自分もテレビで見てて興奮しました。
まあ、競馬ってそういうこともあるんだなと。最後まで何があるか分からない。最後まで諦めないでいるとね。競馬って奥が深い。
ある意味阿部騎手自身がそうですよね。怪我で諦めていれば2000勝がなかった。
諦めてたらそこで終わっていたんでね。まあ自分には騎手しかないと思っていたから。
2011年12月31日、桐花賞をカミノヌヴォーで勝利
ではこの先の目標は、大体聞いてしまったような気がするんですけども。
もう少し乗れるのならね、調教師よりは騎手の方が気が楽ではあるんですけどもね。試験もすぐ合格できるか分からないからまだまだ乗っているかもしれないですけども、30年乗ったし、調教師になるなら少しでも早い方が良いと思っています。
では最後に、オッズパークで馬券を買ってる会員さん向けに一言を。
そうですね。岩手競馬も楽しいので、ぜひ馬券を買ってください。
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※インタビュー・写真 / 横川典視
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