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オートレース選手インタビュー
もう少し頑張ってみようかなとやる気にさせてくれた優勝だった!|吉松 憲治選手
2020年9月25日

2011年8月以来約9年ぶり、2020年8月5日に通算8回目の優勝となった吉松憲治選手の登場です。もちろん優勝戦のお話、選手生活32年の振り返り、息子さんである優輝選手の事など、内容盛り沢山です。(取材日:8月19日山陽オート)

インタビュー / 内野久照

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内野:8月5日山陽での優勝おめでとうございます。

吉松:ありがとうございます。

内野:約9年ぶりの優勝でした。

吉松:あの時は敵が多かった。良いメンバーだった。

ただ小林啓二杯に、初日の選抜戦で勝利した事を思い出して「あのレースを勝つ事ができたのだから」ここは落ち着いて行こうと決めていた。

試走3.39だったけど雰囲気は良かったよ。

一成さん(1号車、竹中一成選手:山陽19期)が3.44試走でタイムは悪かったけど信用していなかった3.48くらいで上がれる人なのでしっかりマークしないといけないと思ったよ。スタートは凄く集中した。後ろに岡松さん(4号車、岡松忠:山陽17期)がいるので遅れない様に食われない様にと注意しました。

序盤を岡松さんからやられなければチャンスはあるのかなと思った。

2号車、山下知秀選手(山陽:28期)を交わすところと岡松さんにインコースのぞかれて、伸び返したところはタイヤが掛かってくれた。良いタイヤだった事も勝因の一つです。

振り返ると展開を作って行けたし一成さんと1対1になった時も焦る事なく直ぐに仕掛けて失敗するのではなくしっかり追いかける事に集中した。そして5周ホームから6周1コーナーにかけてインコースに入ろうと決めていました。

0mのスタートも一成さんが先に行ったし手ごわいなと思っていました。自分の3.39試走と一成さんの3.44試走は変わらないと思っていましたしワンチャンワンチャンと思ってあまり引っ付かない様に残り1周のホームで入る事を決意しました。

ゴールした時は「優勝したんじゃ」と思った。

9年は長かったね。前回、優勝した時に、これが最後の優勝と思っていたので嬉しかった。

地元山陽での優勝は約20年ぶりだったと思う。

有観客に戻った事も自分にはプラスだったと思う。優勝戦の時に「吉松」と書いたうちわで応援してくれいたファンの方がいました。応援してくれた皆様の声援が力となり、気持ちがドンドン乗ってきたのが自分でも分かりました。

これからは車ともっと向き合って10m前で戦える車を作って1年後には山陽の若武者、32期長田恭徳選手と同ハンで戦いたいですね(笑)

今の状況下で優勝パーティは出来ませんでしたが、それなりに皆へお祝いさせられました(笑)

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内野:息子さんの優輝さんの目の前で優勝しました。

吉松:お父さんでも優勝出来ると励みになったらいいけど、逆にプレッシャーになってお父さんみたいになれなかったらどうしようと思うとね...。

内野:そんな事思わずに俺だってと思うでしょう。

吉松:優輝に対しては普通の親の感覚やね。心配ばかりしています。

飯塚に行き篠原睦選手(飯塚:26期)に預けているので後は本人の人生です。上手く皆に教えてもらって成長してほしい。

アドバイスはするけどあーせーこーせーと指示はしない。それは支えてくれている人、周りにお願いしているので...。

内野:選手への道は反対されなかったのですか?

吉松:高校の時に一度、母親の方に相談があったみたいだけど却下したようです。

怪我がつきもので命に関わる仕事なのでそんな事はさせたくなかったようです。

俺はええんか?と聞いたことがあったけどお父さんはいいと直ぐ返事が返ってきた(笑)

親面談の時まで反対だったけど「賛成しています」と言わないと受からないので、反対だったけど賛成したと言っていた。

内野:優輝選手と結婚した金田悠伽選手(浜松:33期)についても聞いていいですか?

吉松:芯がしっかりしている。優輝と結婚してくれて本当に感謝している。悠伽が結婚してくれなかったら優輝は一生独身だと思う。

内野:今、レース以外に夢中な事を教えて下さい。

吉松:ソロキャンがマイブームです。道具は買い集めてから、もうかなり揃ったよ。

TOYOTAハイエースを改造して電源取り、ベッドを取り付けました。

港で寝泊まりをして朝釣りをするのが一番の楽しみでもあります。

内野:トレーニングは?

吉松:船の上でやっていますよ。三半規管を鍛えています。バランスが必要なので体幹を鍛える事にも繋がります。

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内野:選手生活32年目に入りました。選手になるきっかけからお聞きしてよろしいですか?

吉松:当時はケーキ屋に勤めていました。父親が和菓子職人なので洋菓子を作るぞ!とパティシエの専門学校に行きケーキ屋さんに1年と7ヶ月間勤めました。

父親がオートレース好きで、生まれて3ヶ月から山陽オートに連れられていたそうです。

憧れは水本良二さん(山陽:8期)でした。水本竜二選手(飯塚:27期)のお父さんです。

ケーキ屋さんに勤めている時に体調が悪く早退したことがありました。その日はTVで山陽オートのスピード王決定戦優勝戦を見ていました。その時にオートレース21期生募集のお知らせがありました。

一般から選手は募集するのだと初めて知った。「平均年収1800万円」に引かれましたね。

魅力だった。悪くても年収600万円と考えて月50万貰えるなら凄いなと思い選手になりたいと思って山陽オートに願書を取りに行った。

願書を渡してくれた係の方から、お友達も誘って下さいと願書を2枚頂いたので、友達に「悪くても年収600万円、平均で1800万円の仕事あるので受けてみないか」と誘ったが誰一人僕の話にのる友達はいなかったです。

21期は全国で22名が合格するという話だったので試験会場は3ヶ所ならば1会場で受かるのは約8人だと考えました。

他の受験生と話してみたら大学生が多かった。大学生が受ける筆記試験とはどんなものだろうと思いながら試験に挑みました。大学生が受けるのなら自分の方が受かるだろうと少し思っていました。

内野:32年前の平均年収は1800万円でしたね。

今は平均が1080万円と随分減ったけどそれでもまだまだ魅力的な職業だと思います。

受ける人も少なくなったので、受かりやすくなっていると思う。

やる気のある人負けん気の強い人、それだけじゃないけどガッツがある人は選手を目指して欲しいです。次の選手募集の時は是非受けて下さい。お待ちしております。

内野:山陽支部支部長は何年されたのですか?

吉松:1期が2年なので3期6年しました。

内野:どのような活動をされたのでしょうか?

吉松:一番に山陽小野田市長さんにオートレースを理解して頂く事、選手会の理解、選手の存在、心からオートレースを応援してもらう事を取り組みました。

地域としての貢献を考え選手会に新たにイベント部を作り広報に力を入れました。

山陽小野田市を始め近隣都市の祭りや、イベントに積極的に出店しオートレースを知って頂く活動に取り組みました。

照明設備を取り付け頂けるように設置協力に理解頂けるように山陽小野田市を始め関係者の理解を得られるように選手にも協力して頂けるように努力しましたし頑張ったと思います。力を貸して頂くために神経を注いだのも事実ですね。

照明は最初上手く光が届かず、ちゃんと設置出来ない状況の中、何度も何度もテストを繰り返しました。

内野:前検の夜に走っていましたね。日中開催が終わってからも残って夜に走っていたのを覚えています。

吉松:皆の協力がなかったら出来なかった事でした。協力してくれた皆さんに感謝ですね。

内野:選手会役員を退いたのですか?

吉松:選手会役員は21年近くやってきました。

支部長の6年間は、車や仕事に向き合う時間がなくなり、やりたい事もやれない状況が多々ありました。

2020年になって、支部の仕事は辞めたいとは思わなかったけど若い人にバトンタッチするという事にしました。

コロナの関係で引継ぎが上手くできていなかったのでようやく終わった感じです。

内野:支部を離れて環境は変わりましたか?

吉松:支部を離れた事で仕事に集中出来た事も大きかった。支部長の時の成績はパッとしなかったですから(笑)

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内野:いつも思いますが吉松選手は若いです。年齢を感じさせないです。

吉松:今年53歳になったのですがまだもう少しやれると思わせてくれたのが、今回、約9年振りとなった8月5日の優勝です。

この優勝がまだ皆の流れに付いて行けると思わせてくれたし年齢相応の位置から走れたら良いと思う。ただ今回のハンデ10m重化は大変です。

10mなのですがきついです。今まで1、2コーナーで捌けた人が1周バックストレッチでまだ前にいるのですから展開が全然違います。

内野:2020年、残り約4ヶ月どのように戦って行きますか?

吉松:もう年なので冬場は通用しなでしょうが夏場は頑張りたい。

今回からハンデ重化で厳しいけどまた成績を落として元に戻らない様にハンデ軽化しない様にこの位置で戦える様に頑張って行きたいです。

内野:オッズパーク会員の皆様にメッセージをお願いします。(8月31日に電話取材を行い怪我の状態をお聞きしました。)

吉松:8月20日の山陽ミッドナイトで落車をし、ファンの皆様にはご迷惑をお掛けしました。大変申し訳ございませんでした。医師からの診断は左鎖骨骨折と右母趾末骨骨折でした。約3ヶ月間の安静となりましたのでご報告させて頂きます。今のところ復帰の予定は決まっておりませんが、早く完治させて、皆様の前で、また走りたいと思っておりますので今後ともよろしくお願いします。

内野:選手はいつ起きるか分からない事故、落車と隣り合わせでいる事を改めて知る事となりました。これまでオートレース選手には走りで何度も勇気づけられました。何があってもどんな時も、ゴールを目指すオートレーサーを読者の皆様にこれからも紹介していきます。


インタビュー / 内野久照

MCうっちぃ!こと内野久照 オートレース歴16年。好きな選手は浦田信輔選手。現在飯塚オートでMC、山陽オートで実況を行っています。年間約180日間選手ロッカーに潜入し取材もこなすMCです。オートレースを盛り上げたくFBでは飯塚オート盛り上げ隊、Twitterではオートレース盛り上げ隊にてロッカーフォトや選手情報配信しております。 最近では場外車券売り場にてオートレースの解説予想を披露し自腹車券勝負に挑んでいます。オートレース大好き九州男児が展開する魂の大胆予想にご期待下さい。

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