村上 実 調教師(岩手)
2021年11月09日
8月16日の盛岡第6レースで村上実調教師が地方通算1,500勝を達成した。村上実調教師は騎手として812勝を挙げ、岩手のトップジョッキーとして活躍。そして調教師としてもトップクラスのトレーナーとして見事な勝利数を積み重ねてきた。今回は師に思い出の馬などを振り返っていただいた。
まずは1,500勝達成おめでとうございました。
ありがとうございます。
1984年に調教師として開業されて37年になりますが、この1,500勝を振り返ってみて、ここまでの道程の感想とか苦労された事とかは何かありますか?
特別な苦労というのはあまり感じなかったですね。わりと順調に来た方ではないでしょうか。良い馬にも巡り合ったし、特別に"苦労した"という感じはないかな。
村上先生は騎手から調教師になられたので改めておうかがいしたいのですが、騎手としてもトップジョッキーとして活躍されて、みちのく大賞典や桐花賞も勝たれていますけれども、それほどの騎手が若くして引退されたのはどうしてだったのでしょうか。
いやもう減量がきつくてね。なんせ毎年10キロから減量しなくちゃいけなかったから。騎手を引退したのが32歳の時ですか。もうちょっと乗りたかったんですけども、体が追いつかなくなった。減量には勝てなかったですね。
調教師に転身された当初の苦労は何かありましたか。
開業した当時は資金も足りなかったし、いろいろ苦労はありましたね。でも開業2年目にトウケイフリートという走る馬に恵まれて、それからはほとんど苦労はしなかったです。
自分が岩手競馬を見始めたのはもう少し後の頃からなので実際のトウケイフリートを知らないんですけれども、どんな馬だったんでしょうか。
ごろっとした幅のある馬でしたね。馬体重は500キロぐらいあったと思ったね。上にはそんなに大きくはなかったけど幅があった。脚がちょっと内向で、それがあったから中央とかに行けなかったんじゃないかな。でも故障しないでよく走ってくれた馬でした。
デビューが今で言う3歳の4月で、かなり遅いですよね。
やっぱりその内向のせいで強い調教がなかなかできなかったんですね。徐々に調教のペースを上げていかないと脚元が保たなかった。じっくり仕上げていったのでデビューが遅かったのだと思います。でもデビュー2戦目にはもう特別を勝ったのだからやはり力がある馬でした。
こういうとなんですが、開業してまだ2年目くらいの新人調教師のところに重賞を勝ちまくるような馬が巡ってきたわけですから、凄い順調というか幸運というか......。
トウケイフリートが来たのは騎手時代に同じ馬主さんの馬(トウケイホープなど)に乗っていた繋がりのおかげでもありました。トウケイフリートの時は、馬主さんが若駒を買ったから見て来いということで、あの馬はえりも農場の生産でしたけども、えりもまで見に行ったこともあります。結果、その馬が当時あった重賞のほとんどを勝つくらいになって厩舎の流れも良くなった。上手くいきすぎといえばいきすぎでしたね。
さて、思い出に残る馬としてはまずトウケイフリートが挙がるとして、もう1頭挙げていただくとするとやはり......。
トニージェントだね。
トニージェント(2005年みちのく大賞典の返し馬)
トニージェントが先生のところに来た経緯は覚えておられますか。
トニージェントは確か補助馬だったんじゃないかな。牧場まで見に行って決めたんです。若馬の頃は細かったね。細くて脚長で。小さい頃の見栄えはイマイチだったと思う。徐々に身体の幅が出てきて良くなってきた。
デビュー戦の時は453キロでしたね。
初戦はもちろん勝ったんだけど、身体はまだ弱かった。レースを使って動きが悪くなって、確かしばらく休養したと思う。今思えばその休養が良かったんじゃないのかな。それで身体ができてきた。
そうですね、半年休養してからの復帰戦が490キロになっていますね。
ああ、そうでしょう?その辺からだんだん体ができて、走るようにもなっていった。
トニージェントは、グレードレースを勝ちたかったですね。勝てそうなレースはいくつかあったんじゃないかと今でも思っています。
船橋(2003年かしわ記念)は惜しかったね。あの時は、4着だったか。1コーナーで少し進路が狭くなる不利があって、あれがなければもっときわどい勝負になっていたんじゃないかなと思っていました。勝った馬から1馬身ぐらいしかなかったからね。
2003年かしわ記念(当時GII)。トニージェント(左)は4着に食い込んだ
上山のさくらんぼ記念や佐賀記念、名古屋大賞典なんかも惜しかったですね。当時下川さん(トニージェントの担当厩務員)と"もうちょっとで勝てたよね"と悔しがった記憶があります。
これも今思えば直前の輸送にはちょっと弱かったかもしれないですね。東北ダービーの新潟もそうだし、上山でも負けてるから。それで佐賀記念の時は早めに移動して長期滞在で挑んだ。相手が強くて勝てなかったけれども馬には滞在競馬の方が良かったと思う。それから夏場はあまり良くなかった。
というと?
夏は暑さにちょっと弱くてね。夏はあまり勝っていないでしょう?でも冬のレースは勝っている。冬場は体調が良くてすごく調子がいい時期だったね。
ああ、確かにみちのく大賞典を勝ったのはレースが8月から6月に移動してからですね。8月の時は2回走って2回とも負けています。
そうでしょう?夏場はちょっと良くなかったからね。だから7歳、8歳の頃は夏は休養にあてて、マーキュリーカップを走った後は北上川大賞典まで間を開けていましたね。やはり寒い頃は走ったね。
ところでそのトニージェントなんですが、デビューから引退までほぼずっと村上忍騎手が乗っていました。先生としてはやはり息子の忍騎手を育てようという狙いというか意思があったんでしょうか?
もちろんそうですよ。やっぱり強い馬に乗せないと上手くならないからね。馬に教えられるわけだから、重賞を勝てるような馬に乗っていないと騎手も上手くならないですから。
村上実調教師は騎手だった80年代からずっと岩手競馬を見ておられるわけですけども、昔と今の岩手競馬で変わった点とかありますか。
自分が騎手だった頃は交流競走がほとんど無かったですよね。今はどこでも乗れるからね。最近はコロナで難しかったりするけども、その辺が一番違うんじゃないかな。レースに出すにしても中央に行って使うなんて自分が若い頃には無かったですから。
最近は売り上げも上がってきてるんですけども、苦しい時期を乗り越えたといえる今はどう思われますか。
だいぶ良くなったけれど、でもまだまだと言いたいですね。これからどんどん伸びてくれればいいんですが。
村上実厩舎の期待の馬を挙げていただくとすると。
リリーモントルーかな。夏場は夏負けで調子が良くなかったですが涼しくなって立ち直ってきた。中央の頃は芝で走っていたし、トビが軽い馬ですから芝がいいかなと思って連れてきたけど、でもダートでもどっちでもいいのかもしれない。重賞を何か勝てればいいなと思っています。
厩舎の期待馬リリーモントルー
ひと区切りの1,500勝を達成したということで、この先の目標を教えてください。
この先といっても大きな目標は持ってないですが、何か重賞を獲りたいですね。それが今は一番の目標かな。
リリーモントルーや、ハーベストカップを勝ったリンシャンカイホウ(写真)は村上忍騎手の息子・村上朝陽厩務員が担当。"親子三代"での重賞制覇を目指す
それでは最後にオッズパークの会員さんにひとことを
いつもインターネットで岩手競馬の馬券を買っていただいてありがとうございます。これからも岩手競馬を応援してください。
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※インタビュー・写真 / 横川典視